北口雅章法律事務所

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「森の中の小径(こみち)」?

「森の中の小径(こみち)」でしょうか?

いえいえ,今日の午前,名古屋家裁に自転車に乗って向かう途上,
「丸の内」地内の小路の並木の葉が,
昨日の台風21号のお陰で舞い落ち,
「里山の小径」のような情景を作ってくれていたのだ。
ちなみに,写真左側は,名古屋城の外堀の北側斜面です。

 

やはり,人間,自然の中にいると,自然と心が落ち着くし,
自然から離れると,人間の心は荒(すさ)むように出来ていると思われる。

名古屋家裁の2階に掛けてあった自然の絵をみるだけでも,
自然と心は安らぐ。

 

ところで,

「人は土から生まれて,土に還(かえ)る」という言葉がある。
人間は,自然(宇宙)から生まれ,やがて死に,自然(宇宙)に戻るという
「自然の摂理」を示した言葉であろう。

人間は,やはり,自然の中,「土」に近いところに住むと元気が出て,
「自然」や「土」から離れると,心が荒(すさ)むようにできている
と思う。

「土に還(かえ)る」という思想は,
観念的な思想にとどまるものではなく,
実践的な思想である。
実は,先日,このことを亡父の一周忌の儀の直後,

「納骨の儀」の場で知った。

亡父の遺骨は,葬儀の後,骨壺に納められて,実家の壇に置いてあったが,
墓の中に納める「納骨の儀」を行ったとき,
「こんな大きな骨壺をどうやって,墓石の下に入れるのか?」
と,かねがね疑問に思っていたところ,遺骨は,納骨の直前,骨壺から専用の袋に移し換えられ,
袋の中に収納された状態で,小さな入口から墓石の下に収納された。
この袋は,時間の経過とともに風化するので,父の遺骨は,
自然と,墓石の下の「土に還る」ことになるわけだ。
住職曰く「骨壺は破壊して,不燃ゴミとして処理してよろしい。」と。

私は,故人の遺骨は,骨壺に入れたまま,墓に収納するものと思い込んでいたので,ちょっとビックリした。

すかさず,横浜の(母方)従兄に,
「伯父貴の場合も,こんなんだった?,骨壺に入れて墓に納めたのでは?」
と聞いたら,やはり,伯父貴(次男)の場合は,
「全部の遺骨」を骨壺に収めた状態で,今も墓に納められているという。
次いで,豊橋の従弟に,(母方)祖父母と,伯父貴(長男)の場合はどうだったか?
と尋ねると,はやり,骨壺に納められたままの状態で,今も,骨壺ごとお墓に入っているという。
伯父貴(長男)の葬儀は失礼してしまったが,祖父の葬儀ときは,
幼心にも,骨壺に収められた遺骨は「全部」ではなかったと記憶している。
「葬祭のしきたり」は,地域・宗派で区々であろうが,
我が家の納骨は,理にかなっていると思った次第。